八町堀細見絵図について 
尾張屋 文久2年(1862)新鐫  360×658 原図・東京都公文書館蔵 岩橋美術復刻 定価1,650円(税込)

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「八町堀細見絵図」について
尾張屋は「築地八町堀日本橋南絵図」を嘉永2年(1849)に初出した12年後、文久の3年間にこの地域を3分割した切絵図を出しています。
京橋南築地絵図」(文久元年 1861)、「八町堀細見絵図」(文久2年 1862)、「霊岸嶋八町堀日本橋南絵図」(文久3年 1863)の3図で、それぞれの分割区域のより詳しい地図となっています。
その一つの「八町堀細見絵図」は、八町堀の地域だけに見られる特殊性にそった表記上の工夫が見られます。
八町堀には南北両奉行所の与力の屋敷が集中していましたが、この絵図では南町・北町の配下の識別が出来るようになっています。
氏名の頭に“カ”の文字を付けて与力を表し、南町奉行所配下は屋敷区画を桃色、北町奉行所配下は空色に色分けして、所属が一目で分かるようにしています。(図1、2)

 
1 「八町堀細見絵図」文久2年の凡例
(東京都公文書館蔵) 
南町奉行所配下と北町奉行所配下の与力が色分されている


  2 「八町堀細見絵図」文久2年部分(東京都公文書館蔵)
南北町奉行配下の与力屋敷が色分けされている。力(与力)のほか、医(医者)、手跡(手習い)、刀法(武術)等の略号が見える。


さらに与力以外のほとんどの人名に“医”、“儒”、“書”、“絵”、“能”、“歌”、“手”、“刀法”など、その人物の生業を示す一字が入っています。
医=医師、儒=儒者・国学者、書=書家、絵=絵師、能=能舞、詩=歌人、手=手習い、刀法=武術をそれぞれ表しています。
“イシ”(医師)は四谷絵図、市ヶ谷牛込絵図、下谷絵図、小日向絵図などにもありますが、これほど多種類の“生業”名が入っているのはこの絵図だけです。



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江戸切絵図32 八町堀霊岸嶋日本橋南之絵図